東日本大震災を体験された皆さんから、これまでいろいろな教えを受けました。
などなどほかにもたくさんありますが、今回まさしくその通りだと実感しました。
(今、ドンと大きな縦揺れがありました。今回の地震の特徴は、この大きな縦揺れが頻繁に起こることです。)
東日本の方々が体験された大地震の怖さ、その後の大変さは、頭では理解していたつもりでしたが、実際に体験してみて、あるいは体験させられつつある今、本当は何もわかっていなかったと思います。
今回の地震は、震源地が10Km強と浅く、P波が来る前にS波が来ます。
普通の(何が普通かわかりませんが)地震の場合、まずP波が先に到着してその後S波がくると学校では教わりました。そのP波を検知して、緊急地震速報がでるそうです。
しかし、今回の地震では、ドンと縦揺れして、その次に横揺れが始まり、そのころになって、緊急地震速報が携帯から流れます。
今回の地震は、震源が近いので、S波が早く到達して、緊急地震速報がまにあわないのです。だから、今回の地震には緊急地震速報は役に立ちません。
ただ、何10回も揺れを体験していると、揺れが来たあとに緊急地震速報が流れれば大きい揺れが続き、揺れが来ても地震速報が流れなければ揺れは小さい・・・ということがだんだんわかってきました。
その結果、揺れに対して慣れがでてきて、少々の揺れでは驚かなくなってきました。
昨日の16日午前1時25分の大地震の前は、まさか今後本震が来るとは思わず、地震が来たとしても小さな余震だろうと高をくくって、揺れに対する慣れも加わり、その夜はいつもの通り週末の晩酌をして眠りました。最近じじいになったせいか、週末に飲む冷酒(レイシュ)がやけにうまい。
前日には、初めて経験した大地震のため、ほとんど熟睡できずにいました。
ですから、その夜は、アルコールのせいもあって熟睡していました。
ただし、神戸に住む家内の友人のアドバイスで、14日の地震後は、食事や寝るときは外出用の上下を着て、動きやすい靴を傍に置いて、居間で毛布を掛けて雑魚寝をしています。(結果的にはこれが正解でした。)
大きな縦揺れで目が覚め、頭がボーッとしているまま大きな揺れが続き、それが収まってもまた揺れ始め、何回も揺れが始まっては終わり、とても、とても、とても長い時間揺れていました。
このままずーっと、揺れが収まらないのではないかと思えるほど・・・。
揺れが収まった後は、靴を履いてそのまま玄関を出て、同じく飛び出してきたご近所の方たちと近くの広い駐車場にシートをひいて、満天の空を眺めながら、時々起きる大きな揺れに怖がりつつも、普段会話をすることのないご近所の娘さんともお話をして、夜が明けるのを待ちました。
このときほど、夜明けが待ち遠しかったことはありませんでした。
ただ、熊本は暖かいです。
3.11の際は、小雪の舞い散る中を、寒さに震えながら夜明けを待ったと聞きます。
それに比べると、明け方は多少冷えたとはいえ、ふつうの服装で毛布一枚かぶっていれば凌げましたので、特に寒がりの私にとってありがたいことでした。
きのうは、大雨の予報が出ていたので、自宅駐車場の車の中で寝ました。
私の地区は近隣の熊本大学薬学部の体育館が避難先になっていますので、ご近所の方々は、そこに泊まることを検討していましたが、避難者が多くて寝る場所がないとわかり、結局自宅で過ごされたようです。
車の中では、3日ぶりに熟睡できました。
睡眠中に時折ゆっくり車が揺れたようなうっすらとした記憶がありますが、今朝起きてご近所のご主人と話したら、昨夜は大きい余震が4〜5回あったので余り眠れなかったとのことです。そうとは知りませんでした。
地震の時は、車の中で寝たほうがいい。
よく眠れるうえに、久しぶりにキャンプを思い出して、少しうきうきしました。それに、自宅の駐車場に駐めた車の中ですので、玄関を開ければトイレにも困りません。
今も余震が頻発していますので、今夜も車の中で寝る予定です。
(ドンと突き上げられると、ドキッとしてとても心臓に悪い。)
今朝、自転車で、調査士会館と司法書士会館を見てきました。
熊本県土地家屋調査士会館
熊本県司法書士会館
チャンと、建っていました。
これからしばらくは、会員の安否の確認や会員の事務所・自宅の被害への対応と大変でしょう。
ただ、津波で大勢の方が亡くなった東日本大震災と違い、会員の人命に関わる被害はそう多くはないと思います。
益城町や阿蘇などでは甚大な被害が出ているようです。
毎年正月には初詣に出かけていた阿蘇神社では、桜門と拝殿が壊れてしまいました。
阿蘇神社には今年の3月に家内の仲間を連れて訪れました。初めて来たという家内の友人はたいへん喜んでいましたが、それが最後になってしまいました。
阿蘇神社の桜門
先週末は、久しぶりに阿蘇に行きたくなって、夫婦で南阿蘇をドライブしました。
俵山の旧道を超えて南阿蘇村に入り、普段ならそのまま俵山トンネルを通って市内に戻ってくるのですが、その日はどういう訳か阿蘇大橋を通って国道57号線を下り、益城町の方を通って帰ってきました。
その阿蘇大橋も、完全に落ちてしまいました。
阿蘇大橋の袂では、東海大学の学生さんがアパートの下敷きになって亡くなったそうです。
熊本城の石垣も一部が崩壊し、無惨な姿になっているところがあるようです。
壊れた石垣の近くはよく通りますので、いずれはその崩れた石垣を見ることになりますが、熊本城の中でも一番気に入っていた場所だけに、見るのが怖い。
昨年行われた青年調査士会の熊本大会に参加した方は記憶にあるかもしれませんが、懇親会が行われたKKRホテルの近くにある石垣です。
熊本城の石垣
そういえば、懇親会の前に、石垣に上っていたやつがいました。
国道3号線にかかっていた橋が落ちたという情報もあります。
週が明け、これからだんだん被害が明らかになっていくと思います。
また、今後も6弱程度の余震が発生するかもしれないそうです。
(この記事を書いている間でも、5〜6回小さな余震がありました。)
さあ、気を引き締めて、やっていきましょう。