あけましておめでとうございます (2016.1.1)


昨年春のある日曜日の夜、テレビで「花燃ゆ」を見ていたわたしは、

 なぜ吉田松陰は、たった2年足らずの期間に、多くの人に多大な影響を与えることができたのだろう

・・・と常々疑問に思っていたことを確かめるべく、突然家内に「萩に行くばい」と宣言して、ビジネスホテルを予約。

桜も散った4月中旬ころ、萩へ車を飛ばしました。


弓ヶ浜


その日の昼過ぎに松下村塾を訪れ、


松下村塾


その奥にある松陰神社にお参りをしました。


松陰神社


次の日の早朝にも、再び一人で松陰神社を訪れ、私の趣味の一つである「知らない土地の早朝散歩」を満喫しました。

一度は松蔭先生にご挨拶をしたいと思っていたわたしにとって、思い出深い朝となりました。

で、どうして短期間に影響を与えることができたのかという疑問。

・・・よくわかりませんでした。


そして、その夏。

福島・栃木・茨城各会の各青年会合同の研修会に呼ばれて、福島へ行くことになりました。

家内とよく、いつかは二人で福島に行きたいと言っていたことが、やっと実現しました。

福島では、二本松市の岳温泉に1泊し、次の日郡山市で研修会。


郡山ビッグアイ


わたしが講師をしている間、家内は一人で会津若松観光です。


白虎隊


研修会後の懇親会を終えて、福島青年会の渡辺さんに送っていただき、夜遅く会津若松に到着。

翌日の早朝、わたしは小雨の鶴ヶ城まで散歩し、またまた「知らない土地の早朝散歩」を満喫。


鶴ヶ城


朝食を済ませた後は、後ろ髪を引かれる思いで、いわき市へ向かいました。

いわき市では、予約していたレンタカーを借りて、帰還困難区域を縦断する国道6号線を北へ走り、


国道6号線


福島第一原発が立地する大熊町、双葉町を通り、南相馬市へ。

震災後5年目を迎えた浜通りの街並みは、全て封鎖され、手つかずのままでした。


封鎖された家々


立ち入りが禁止された住宅地、荒れ果てて草が生い茂った田畑、パトカーが行き交う物々しい警戒の様子などなど、二人の心の奥に何か重たいものをもらって帰ってきた福島への旅でした。


春には元長州藩の山口へ、そして夏には元会津藩がある福島へ。

偶然とはいえ、幕末に相対立した二つの藩を訪れることができたのも、何か因縁を感じます。


さて、今年はどんな1年をすごすことやら。

みなさん、よい年をお迎えください。

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