ワタシが歩いた人吉の街 (2020.7.15)


今日7月15日水曜日の熊本日日新聞の記事。

「人吉市中心部 壊滅的被害」


令和2年7月15日付け熊本日日新聞の記事から抜粋


今日から丁度一週間前の水曜日、ワタシが歩いた人吉の街は・・・。


去る7月8日、ワタシは法務局に抵当権設定の登記の添付書類を持ち込んだあと、大橋を左岸から右岸へ渡りました。

もちろん、作業着にヘルメット、公嘱協会のオレンジ色のメッシュベストを着て身分証明書を首にぶら下げ、熊本地震後の滅失家屋調査のときの出で立ちにゴム長靴という格好で、被災された方々の邪魔にならないように気をつけながら、歩きました。



中州にある中川原公園の惨状。



増水したままの球磨川。


人吉温泉病院。

3階の右の方に見える白い部分が、空中の渡り廊下。


九日町入り口。


九日町西側の繁華街。





九日町東側、ホテル清流山水花 あゆの里の前。


その真向かいにある肥後銀行人吉支店。


紺屋町の駐車場。



紺屋町通り。


コンサルの人たちです。

浸水の高さの調査でしょうか。


昔、調査士会の支部役員で泊まった旅館も。


青井阿蘇神社の裏手にあるお寿司屋さん。

水害発生二日前の7月2日に、家内と二人でたまには少し贅沢な昼食をと、おすすめの寿司定食を食べました。


青井阿蘇神社の裏の方にある小さな鳥居群。


青井阿蘇神社の本殿。

ボランティアの女子中学生の姿も。



青井阿蘇神社の桜門。

こちらは、熊本地震で倒壊した阿蘇神社の桜門と異なり、被害は少ない模様。


青井阿蘇神社の鳥居の前の禊橋(みそぎばし)。



お堀に水没した車。



青井阿蘇神社の前にある旅館の駐車場。


無残です。

駐車場の裏手では、後片付けが始まっていました。


球磨川を挟んで中心街の対岸、法務局や裁判所がある寺町や、調査士・司法書士の事務所がある新町も被害に遭いました。

法務局と裁判所。


法務局は、1階の階段下まで水が来たようです。


裁判所の駐車場も、まだ泥が堆積していました。


写真右手にある球磨焼酎の老舗−繊月酒造の焼酎蔵も被災しました。


繊月酒造の真向かいにある新町地蔵堂。


その隣の駐車場。

ここにも大量の水が流れ込んだと思われます。


大橋の袂から見た球磨川左岸。

国土交通省の職員の方々が、川への降り口の被害状況を調査されていました。


中州では、自衛隊の方々が復旧作業中でした。

自衛隊の方々には、熊本地震でもずいぶんお世話になりました。

右端に写っているのが大橋、その奥が被災したホテルあゆの里。


その少し上流、球磨川と支流の胸川が合流する場所。

左の濁流が本流の球磨川、右が支流の胸川。

中央奥は人吉城跡、左手奥の橋は水の手橋。


胸川から見た二つの川の合流部分。


胸川に架かっている人吉城跡へ渡る大手橋。


大手橋から見た合流部分の少し上流付近。

左手堤防の奥に、先ほどの新町地蔵堂があります。


このあたりは本流に支流が流れ込むところですので、球磨村の「千寿園」付近で発生したとみられる「バックウオーター現象」がここでも起きたのかもしれません。


ワタシはこの2日後の7月10日金曜日に再び法務局を訪れ、抵当権設定の登記の完了書類を受け取って、そのまま人吉市の東の方−−球磨川上流の方−−にある錦町の金融機関の本店へ書類を届けました。

融資を担当した人吉市にある金融機関の支店が被災して、機能していなかったからです。

この日は、人吉インターチェンジの南側にある人吉球磨スマートインターチェンジから直接法務局に立ち寄り、錦町で用事を済ませた後は同じインターチェンジから高速道路に入って、事務所に帰って来てしまいました。


ワタシのミスで所有者更正登記をしなければならなくなったために(おかげで?)、今までは2〜3ヶ月に一度しか訪れていなかった人吉・球磨地方へ、被災された前後二週間の間に計4回も往復することになった不思議な縁を思う気持ちと、被災した人吉の街の光景を見て自分が無力なことに対する自責の念が入り交じった気持ちで、そして、じじいの身で体力以上の行動をしたために生じた心身の疲れを癒やすために、その後の一週間をすごしてしまいました。

被災後人吉の街を歩いてから、今日で丁度一週間経ちました。

やっと、気持ちが落ち着き、体力も回復しましたので、写真をアップしました。

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