球磨川の氾濫に思う (2020.7.5)


昨日(2020年7月4日)未明球磨川が氾濫して、人吉市を始め球磨郡の全域と八代市の坂本町で大洪水が起きました。

亡くなられた方々のご冥福をお祈りしますとともに、被災された方々にお見舞い申し上げます。


令和2年7月5日付け熊本日日新聞の記事から抜粋


人吉・球磨地方は、ワタシにもたいへん縁があるところで、今でも2〜3ヶ月に一度は訪れています。

高速道路ができましたので、今は自宅から1時間も走れば人吉市に着きますが、高速道路がないときは、国道219号線(通称、沿岸道路)を片道2時間以上かけて通っていました。

沿岸道路は、大雨のたびに土砂崩れが起きて道路が塞がり、その後しばらくはその部分が不通になります。そのときは、球磨川を挟んだ対岸の細い道をヒヤヒヤしながら通ったり、対岸も被害があって通れなくなったときは、芦北町の方まで迂回して県道27号線を通り、球磨村の神瀬に架かる橋を渡って人吉市に入っていました。

ここ十数年、沿岸道路を走ることはありません。高速道路の快適さに慣れてしまうと、沿岸道路を走るのは結構しんどいのです。


ところで、去る5月の下旬、人吉市に新築された住宅の登記を依頼されました。

週末に2回家内とともに高速道路を走り、建物を調査して、6月の中旬に人吉の法務局に表題登記の申請をしました。もちろん、調査士報告方式です。添付書類は何も送る必要がありませんので、たいへん楽です。

6月の下旬に表題登記が完了したので、6月26日金曜日に抵当権の設定書類を受領するため人吉市の金融機関に向かいました。


今日書類を受け取ったら、あとは保存登記と抵当権設定登記をオンラインで申請し、添付書類は郵送すれば一件落着。しばらくは人吉に来ることもないので、帰りは山江のサービスエリアで我が事務所で評判のラーメンを食べて帰るぞ・・・と、少しウキウキしながら、金融機関の担当者から書類を受け取りました。

 「ご主人の単独名義ですので、奥さんの委任状や印鑑証明書はいりません」

受け取った書類をチェックして、ワタシは奥さんの書類を返そうとしました。

 「所有者ご夫婦が連帯債務で融資を受ける契約です」

 「奥様の名義も入っていないと困ります」

と担当者。

 「えっ、・・・・・・」


明らかにワタシのミスです。所有者の調査が不十分でした。

ワタシはその場で所有者に電話をして、融資が遅れることに対するお詫びと改めて工事人の証明書を発行してもらわなければならないことを、工事人に伝えてもらうようにお願いし、急遽高速道路を飛ばして事務所へ引き返しました。

途中でラーメンはしっかり食べましたが・・・。


事務所へ帰ってからはてんやわんやでした。

ワタシの責任ですのでワタシがてんやわんやするのは仕方がありませんが、事務所のスタッフにも迷惑をかけてしまいました。


所有者夫婦にも協力をしてもらい、翌日の土曜日には書類を完備して、明けて6月29日月曜日、改めてオンラインで、所有者更正登記を申請しました。

ただし、今回は調査士報告方式が使えない事例*1ですので、添付書類を登記官に提示しなければなりません。

ですから、申請して直ぐに、人吉へ車を飛ばしました。

*1 「調査士報告方式で、分合筆登記」の「19.報告方式が使えない登記申請」を参照


ちなみに、今回の所有者更正登記の申請は調査士報告方式は使えませんが、やり方は調査士報告方式とほぼ同じです。

承諾書と印鑑証明書を含むすべての書類をPDFファイルにして電子署名をし、調査報告書には、「補足・特記事項」欄に「添付した電磁的記録については,当職において添付情報が記載された書面を確認した上で,当該書面をスキャナにより読み取って作成した電磁的記録である。」と入力をします。

調査士報告方式と異なるところはただ一つだけ、申請書のその他の欄には「調査士報告方式により原本提示省略」という文言は入力しません。いや、入力できません。


閑話休題。

高速を降りて、すぐに人吉の法務局に添付書類を提出し、早く終了することを祈りつつ、法務局を後にしました。

 「久しぶりに、下ば通って帰ってみるか。」

そのときフッと、沿岸道路を通って帰ってみようと思いました。

更正登記を出して後は待つだけという気持ちの余裕がそうさせたのか、高速代をケチろうと思う潜在意識がそうさせたのか。多分どちらもでしょう。


沿岸道路を通るのは、十数年ぶりです。

法務局近くの大橋を渡って九日町の交差点を左折し、人吉温泉病院に架かる空中の渡り廊下の下をくぐって、国宝青井阿蘇神社の前を通り、国道219号線に出ました。

暫く走ると、球磨川の右岸に出ます。


球磨川に沿って走る沿岸道路は、とても快適でした。

高速道路ができて、車−−特にトラック−−の通行量が少なくなったせいもあるのでしょう。

久しぶりに見る球磨川の流れ。

梅雨の時期なので確かに水量は増えていましたが、元々が三大急流のひとつです。水量の多さもまた球磨川の良さを増します。


球磨村の渡地区へ入ると、小川(川の名称です)には新しい橋が架かっていました。

久しぶりに通る沿岸道路は、発見が一杯あります。

受験生に人気の一勝地を過ぎるあたりから、球磨川の川岸にはネムノキが連なって生えており、満開のネムノキの花がとてもきれいで、一人ドライブの寂しい心をいやしてくれます。(ワタシはてっきりこれをハナミズキと思っていたのですが、家に帰ってからこのことを家内に話したら違っていました。他の人に話す前でよかった。)


瀬戸石ダムを左に見て、坂本町に入ったあとも、快適なドライブが続きます。

坂本町は合併して今は八代市の一部になっていますが、合併前は坂本村と呼ばれていて、ワタシの名字と同じなので以前から妙に気になる村でした。

鎌瀬橋を渡って球磨川を横切り、左岸を走る頃になると、後ろからパトカーが付いてきているのが見えました。

パトロール中だと思いますが、交通違反をしていなくても(実際は制限速度を10〜15kmくらいオーバーして走っていましたが)後ろにパトカーがいるのは気持ちのいいものではありません。


左岸を走る沿岸道路は、所々で道路が水浸しになっています。

道路左に壁のようにそびえる山々から水があふれ出して、道路を横切るためです。

水浸しになったところを通るたびに、先行するダンプカーが水しぶきを上げるので、嫌になります。

しかし、反対車線から飛び出してくるかもしれない車から自分の車を守るためには、大型車両の後を走るのがベターですので、仕方がありません。


このあたりから下流は、以前は荒瀬ダムのダム湖があったところです。

今はダムは撤去され、自然な流れになっていますが、こうやって見ると、ダム湖はそれなりに風情があったような気がします。

荒瀬ダムの跡を右に見て走っていると、坂本橋でパトカーは右折していきました。

後方の視界からパトカーが見えなくなったら、何故だかホッとしました。


いろいろな楽しい思い出をもらって沿岸道路のドライブは終わり、八代市内に入りました。

ワタシは、この美しい景色を見ることができて、沿岸道路を走ってよかった・・・と、車を走らせながら改めて思いました。


おかげさまで、所有者更正登記は、2日後の7月1日水曜日の午後には完了しました。

そこで翌日の2日の木曜日、できるだけ融資の実行が早くなるように、また翌日から再び雨の予報が出ていたので、専用住宅証明書を取るために家内を連れて人吉市役所に向かいました。

法務局で紙の登記完了証と確認済証などを受領し、大橋を渡って中心街を通り、人吉市カルチャーパレスに設けられた市役所の仮庁舎へ向かいました。

カルチャーパレスに到着し、これで直ぐに終わって帰れると思ったのもつかの間、税務課は別の場所にあると言われ、探し探してやっと着いた場所は、法務局の直ぐ傍の市役所別館でした。

法務局を出発し、球磨川を挟んで 人吉市の中心地 をぐるーっと回り、再び法務局の傍に戻ってしまいました。


何はともあれ、所有者更正登記は無事終了し、後は来週に予定された実行を待つだけとホッとして、週末を迎えました。


そして、昨日7月4日土曜日の未明、球磨川が氾濫しました。

ワタシたちが人吉まで往復した日の、たった2日後でした。

テレビの映像で見る球磨川は、5日前に沿岸道路を通ったときの球磨川と全く違ったものでした。

谷間をただ濁流が流れているだけです。

美しい流れも、美しいネムノキの花も何もありません。


人吉市の中心地も、一昨日ぐるーっと回ったことときと全く異なる光景です。

ワタシは、熊本地震の時のことを思い出しました。


幸い、依頼者の新居は球磨川から少し離れた(海抜にして5mほど高い)ところにありましたので、被害もなく無事だそうです。


振り返ってみると、熊本地震のとき、数年ぶりに渡った阿蘇大橋は1週間後におこった熊本地震で崩落してしまいました。

そして今回、十数年ぶりに走った沿岸道路は、その5日後に球磨川の大氾濫で濁流渦巻く川の底になってしまいました。

その後の光景はまだ見ていませんが、見るのが怖いです。


ワタシは大人ですから、ワタシがその地に行ったから有るべきものが無くなったということでは絶対ないことぐらいわかってはいます。

しかし、どうしても何か不思議な因縁を感じます。


被災された方々が、一日も早く復興されることをお祈りいたします。

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