本震から丸1年 (2017.4.16)


今日で、熊本地震の本震から丸1年経ちました。

これまで、支援してくださった多くの皆様に感謝いたします。


さて、去年の11月から今年の3月にかけて、地震で倒壊した家屋の滅失調査が行われました。私も微力ながらお手伝いをしました。

昨年末に行われた益城町の調査では、私も現地に出かけて解体家屋の調査にあたりました。益城町では、これまで仮設住宅の申し込みで受付のお手伝いをしたり、他県から派遣されてこられた各市や町の担当者が罹災証明のために家屋を調査する際に、運転手兼現地案内者兼調査補助者としてお手伝いはしていました。しかし、そのとき目にした医師や保健師、看護師や薬剤師の方々が、その資格を活用して貢献されている姿に、頼もしくもありうらやましくもありました。ですから、土地家屋調査士として貢献できる今回の滅失調査は、たいへんやりがいのあることでした。

調査してみて一番感じたことは、建物の特定の難しさです。

法務局から提供された資料は字図または地図と要約書、ゼンリンの住宅地図だけですので、現地に行って更地になった土地を見て、解体された建物が登記簿の建物と同じものか判断が難しいのです。建物図面がある建物の場合はまだ特定がしやすいですが、建物図面がない古い建物の場合は、現地が更地になっていたとしても、果たして取り壊された建物が登記簿の建物かどうか所有者に聞かなければわかりません。しかし、被災された所有者は取り壊された被災家屋には当然住んでいないわけですので、現地調査の際に所有者に会うことができるチャンスは、わずかなパーセントの確率です。その結果、「建物の特定ができない」ので「滅失認定困難」という判断が数多く出ることになりました。

阪神・淡路大震災の時に発行された兵庫会の記録誌に、17条(現14条)の建物図面があればもっと調査がやりやすかっただろうという趣旨の記載がありましたが、あぁこういうことだったんだ、とやっと実感できたのでした。


益城町の調査が終わり、年が明けて暫くすると、第2次調査と称して熊本県下全域の滅失調査が始まりました。調査対象の家屋の数は益城町の比ではありません。益城町は震度7に2回襲われたため、全国的にも被害が大きかった地域として知られていますが、今回この作業に携わって、益城町以外の市町村−例えば、西原村、南阿蘇村、阿蘇市、御船町、甲佐町、大津町など、多くの市町村が被災していることを実感しました。特に熊本市の被害が思った以上に多いことに驚き、私の地元の中央区にも被災した家屋が−それも私の事務所の近隣の家屋が被災していることを、実際調査してみてわかり、改めて被害の大きさに驚きました。


この2次調査ですが、私は現地に出て調査することを強く希望しましたが、幸か不幸か−−たぶん、わたしがじじいのせいでしょう−−班長という立場でデスクワークをやらされることになりました。班長の仕事は、班に配分された調査対象建物を班員ごとに配分し、調査を終えて上がってくる成果品を総括に提出するという簡単な作業・・・と思っていましたので、現地調査はできなくなって残念だけど、仕事は楽勝だなと、そのときは思っていました。

蓋を開けてみるととんでもない話しで、調査が始まって数日後には自分の考えが甘かったことに気がつきました。

班員の方に調査対象建物を配分する作業が班長としての最初の仕事で、それが済むとあとは班員の仕事です。班員の方も自分の仕事と並行してこの調査に携わりますので、時間を調整して調査に臨み、調査後は時間を惜しんで成果品を作ってわたしに送ってきます。毎回、配分してから7日後が班長へ完成した成果品を送る期限ですので、配分から成果品の完成までの期間が1週間しかありません。そのため、班員から成果品が送られてきたら、時間をおくことなくチェックをして班員に連絡しなければなりません。

ですから、わたしは成果品が送られたことをメールで知ると、すぐに目を通さなければいけないという強迫観念に駆られて早速チェックし、班員に修正箇所を連絡します。修正箇所の中には、判断基準に関する考えの相違などもあり、電話でお互いに考えをぶつけ合うこともたびたびありました。そして、修正が1回で済めばいいですが、なかなかそう旨くはいかず、修正されて送られてきた成果品を再度チェックして、さらに修正して貰うこともときどきありました。ですから、1回の修正で完成した成果品を送ってくれたときはうれしくなりますし、最初から軽微な修正で済む成果品を送ってくれた班員には、出かけていって頭をなでてあげたい気分になります。


ところで、この班長の仕事は思った以上に時間が必要でした。そのため、毎晩9時に寝て深夜の2時か3時に起きて朝7時までその作業をし、事務所では午前中自分の仕事をして、午後は再びチェックや配分の作業をしました。土曜日曜は平日にできなかった分を取り戻すために、一日中同じような作業してどうにか間に合わせるという生活が続きました。

これらの作業は全部がデスクワークでルーチン作業ですので、ストレスが溜まって仕方がありません。現場が好きな私は、ウズウズし出して自分にも調査建物を配分して、現地調査に行くこともありましたが、そのせいで時間がますます足りなくなり、自分で自分の首を締めてしまう結果になりました。


しかし、現地に出たおかげで自分が住む熊本市中央区の被災の様子や、家内と温泉によく行く阿蘇の被災の様子がわかりましたので、それはそれでよかったと思っています。特に阿蘇市の調査の時は旧波野村を家内とドライブを兼ねて周り、

    「この建物。絶対今回の地震で壊れる前から壊れとったばい」

・・・山奥の不気味な被災建物も調査して、結構いい思い出になりました。


さて、調査は年度末で一段落したものの、熊本市の未調査の建物がまだだいぶあるそうです。

また頑張りましょうか。

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