余震が丁度1900回 (2016.7.16)


本震から今日で3ヶ月。

余震も丁度1900回を達成。

もう飽きました。

最近は忘れた頃に揺れが来て、「オッ、揺れたばい。震度1」などと余裕で、日常に戻ったと言ってもいいような今日この頃です。

しかしそれは、あくまでも私の生活エリアの中だけ。

震度7に2度見舞われた益城町はもちろん、南阿蘇村や御船町など甚大な被害が出たところや、熊本市内でも益城町の近くに位置する東区の秋津地区や沼山津地区、あるいは液状化がひどい南区の日吉地区など、まだまだ殆ど何も手つかずのままで梅雨を迎えているところがあり、日常の生活がいつ戻るのか全くわからない被災者の方々が大勢います。


液状化で傾いた日吉地区の建物


そんな中、先週まで約1ヶ月の間、毎週水曜日と土曜日に益城町の罹災証明の二次調査をお手伝いしてきました。

調査士会から日当が出ますのでボランティアとは違いますが、もうすぐ高齢者の仲間入りをするこの身には、真夏の暑さ程ではないにしろ、晴れた日の暑さや梅雨の土砂降りの中の調査のお手伝いは、さすがに応えました。

測量をしている方が、なんぼましか・・・。


二次調査は、私たち調査士1名と他県から応援に来てくれている調査担当者(主に他県や他県の市の税務課の職員、中には建築関係の課から参加している職員もいました)の2名が一つの班となり、二次調査の申し込みをされた被災者の家を訪ねて、被害にあった建物のあらゆる箇所を調査をします。

私たち調査士は名目上は班長ということになっていますが、建物の被害の状況を調査するノウハウを持ちませんので、もっぱら調査現場までの車の運転と調査の補助が仕事です。補助者になったばかりの頃を思い出します。

他県から来た調査担当者の方々は益城町の地理がほとんどわからない方ばかりですから、私たちが運転するのは当たり前のことです。とはいえ、私は益城町の住人ではないので、中心地以外は益城町の地理に暗く、案内役も一苦労です。

スマホを買っていてよかったと、何度思ったことか。


主な調査箇所


余談ですが、私はずっとガラケーで、スマホは持っていませんでした。

今回の地震の時、娘が持っていたスマホに次々と地震の情報が入ってくる様子や、LINEを使って友人と情報を交換している様子を見てこれは必要と思い、早速SIMフリーのいわゆる格安スマホを購入しました(ちなみに、Windows 10 のスマホで、同じく Windows 10 にグレードアップしたパソコンと使い勝手が似ているので重宝します)。

このスマホのナビ機能が、今度のお手伝いで大いに役立ちました。

何せ、役場から渡される地図は、調査する建物の周辺だけをコピーして建物を特定したもので、調査対象を間違えないためにはそれはそれで必要なものですが、集合場所である益城町公民館からその現場に行くため、どの道を通っていけばいいのか全くわからない地図でした。

この辺の配慮のなさは、さすが公務員の仕事です。

私はたぶん、スマホを持っていなかったら初日に挫折し、以後ずる休みをしたかもしれません。スマホ様々です。ただ、電話は今までのガラケーの方が使いやすいので、スマホはデータ専用です。


益城町公民館


閑話休題。

調査担当者はいろいろなところから応援に来ています。

私がお手伝いした方々は、石川県能美市、新潟市、宮城県大崎市、東京都多摩市、埼玉県所沢市、北海道函館市、岐阜県関市、埼玉県日高市、三重県熊野市、三重県松阪市、奈良県橿原市、岡山県笠岡市の各市役所から派遣された方々でした。

調査担当者の皆さんは経験者も多く、特に宮城県の方は東日本大震災の時500棟の調査をしたとのことで、さすがに手際のいいものでした。

どの方も皆、熊本の慣れない暑さの中、あるいはスコールのような土砂降りの中、一生懸命に調査をされていました。


建物調査の様子


これらの方の中には、益城町の近くに宿がとれず、熊本市の北のはずれにある植木温泉から毎日通って来る方や、近くに宿は確保できたものの、食事が全く出ず、朝昼晩全部外食という方もいました。

食事が出ないという方には、熊本市内まで出れば「こむらさき」のラーメンがうまいとか、熊本名物の太平燕は是非食べていけとか、熊本の宣伝もしておきました。

また、明日勤務先に戻るという方と最後に調査した場所がたまたま断層のすぐ近くで、是非見ていけと、2m横ずれした断層を案内したりして、大変な作業の中にも楽しいひとときもありました。


2mの断層と地質調査
左側のポールの部分が2mずれた断層

そうそう、私は担当しなかったのですが、北海道、山梨県、山形県の方々もいました。

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調査の途中で初めて経験したのが「建物酔い」です。

二次調査では、倒壊してつぶれた建物とか、大きく傾いている建物などはほとんど対象になりません。というのも、一次調査の段階で、こういう建物は外見を見ただけで全壊扱いとなります。

二次調査で多いのは、外部の被害は余り見えないが、建物の中に入ってみるとひどく壊れているといったもので、そういう建物の中には、柱や梁が微妙に傾いているものがあります。

この、「微妙」に傾いた建物の中に1時間くらいいると、めまいがしてきて車で軽く酔ったような感じになります。

たぶん、目から入った「微妙」に傾いている柱と梁の情報が、脳の中で柱は垂直に梁は水平になるように、一所懸命修正されているためではないかと思います。脳がだまされた状態になるからでしょう。

「壊れた家に住んでいると、気分が悪くなる。」という被災者の多くは、おそらくこれが原因でしょう。


微妙に傾いた窓枠
実は、向こうの家も右側に傾いている


お手伝いの最後の朝、調査前のオリエンテーションで聞いたところによると、二次調査の申請は日々増えているものの(7月6日時点で3,240棟)、調査開始から1ヶ月で半数以上の1,808棟を調査できたとのこと。

たぶん今後1ヶ月もかからないうちに、調査は終了するでしょう。

罹災証明を早くもらって、次の段階へ進みたいという被災者の方々ためにも、調査士と調査担当者の皆さんにはがんばって欲しいと思います。

大変うれしいことに、7月10日から始まったお手伝いの二次募集では、青年調査士会の方々が進んで応募してくれたそうで、じじいの出る幕はなくなりました。


調査前のオリエンテーションの様子
この日は、23班態勢で調査に当たった


今回の熊本地震では、一般のボランティアの皆さんに大変助けられています。

そして、なかなか表には出ないのですが、今回の調査担当者の方々のように、多くの他県の職員やお医者さんなどの医療関係の方々にお世話になっています。

1ヶ月半くらい前ですが、避難所となっている益城町保健福祉センターで私が仮設住宅の受付のお手伝いをしたとき、お手伝い自体は割と暇な仕事でしたので、避難所へどんな方が支援に来られているかメッシュベストのネームを調査?しました。

実にいろんなところから応援にこられていました。

非常に雑多になりますが、次にご紹介をします。ただし、順不同です。

栃木県、大阪府、徳島県、福岡県、枚方市、静岡県、京都府、兵庫県、宮城県、和歌山県、宮崎県、鹿児島県、日本医師会、熊本県栄養士会、熊本県保健師会、熊本県医師会、大分県薬剤師会、神戸市、岩手県、厚生労働省、防衛省、兵庫県医師会、富山県、京都市、兵庫県養父市、熊本県歯科医師会、浜松市、JRAT(大規模災害リハビリテーション支援関連団体協議会)、熊本県多良木町、福島県医師会、長野県医師会、相模原市保健師会、国土交通省、鳥取県、そして自衛隊の皆さん。

ほんとうにお世話になりました。


避難所の様子
応援の職員が大勢でがんばっている


大分県薬剤師会の災害支援車

ところで、本震後に車中泊でとても世話になった私のポンコツ車が、橿原市の調査担当者の方々を乗せて益城町の道路を走っているときに、前の車から小石をはねられてフロントガラスにヒビが入ってしまいました。

最初は小さなヒビでしたが、その日のうちに大きくなってしまい目立つようになってしまいました(今もヒビ成長しています)。

今月が13年目の車検で、週明けの月曜日に車検の手続きをしてもらうよう数日前に整備工場に予約をしたばかりでした。

走行距離 254,561km。

エアコンを点けて交差点で止まっていると、エンストします。

橿原市は神武天皇を祭った橿原神宮のあるところで、神々がいらっしゃる奈良県から応援に来ている職員の方を乗せていてのこの事故、とても偶然だとは思えません。

そろそろ廃車かなとつぶやいたら、助手席に座っていた調査担当者の方が一言、「廃車でしょう。」。

神様のいる場所から来た人の言葉です。

きっと神様を連れてきて、私に引導を渡したのでしょう。

私の愛車は、益城町のお手伝いを最後に、引退します。

家族共々、とてもお世話になりました。


最後のお仕事

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